うどんを食べられずにとぼとぼ帰るにはおなかがへりすぎていた。どう考えてもこのカフェしかあいていない。とぼり、と席につく。カフェなのにカフェめしを置いていない不思議なカフェで悩みに悩んでオーダーする。ぐうぐうとなるおなかの虫を放牧しながら、残り少ないタイでの見仏を見物。ぐうぐうぐうぐう、と虫さんは元気がよい。ほどなく、このおかずは時間がかかりすぎるなぁと気がついて「すいません!カレーに…虫のためにカレーに…」と懇願する元気も飼い主には残っていない。虫さんには申し訳ないけれど、今日こそこのタイでの旅を終えなくてはならない。もう自分には時間があまり残されていないのだ。虫たちが暴れ出す。少し気が遠くなる。一緒に入った隣のお嬢さんがティラミスとマンゴージュースを飲み干して出て行き、本気でカレーにすれば良かった、と後悔したところでようやく虫たちへのえさが到着した。猛烈な勢いでそのグリルした鶏にマスタードを塗っては口に放り込むと虫たちは静かになった。凪のような胃液の音は聞こえるわけがないが、そんな雰囲気の静けさの中、見仏の旅はクライマックスを迎える。誰にも気がつかれないようにぐいっと鼻から息を吸い止める。一緒に涙もひっこめる。あの、楽しかった旅が終わる帰りの飛行機の中のせつなさが急に再生される。一緒に長い間旅をしてきたのだから。
外に出ると昼間の暑さがウソのように涼しく、そういえば今年も春がなかったなぁなどとセンチメンタルな感情が自分の中からわいてくる。
本当に春はなかったのだろうか?
誰かがそんな疑問を投げかける。誰かって自分しかいないから。ひとりで歩いてるんだから。まばゆく、心が浮き立つ、ワクワクする、そんな春は今年も、去年も、多分その前もきっと過ごしていたのに、そうやって知らないふりをする。長袖の季節を満喫できなかっただけのことじゃないか。すぐにTシャツに着替えてしまうから、いつも長袖を着るタイミングを失ってしまう。春がなかった季節は自分が必要とされていた季節だ。そんな必要など、霞のような軽さなど、後生大事に持っていても仕方ないのに。ここまでが横断歩道1つ分の時間。
角のたばこやさんの自動販売機に不意に喫煙スイッチが入る。疲れている時は最初にコーラがやってきて、そのあとにジャンクフード、そして最終的にたばこが欲しくなる。そうか、そこまで疲れていたか。火をつけ、思い切り煙を吸い込む。苦い味とすーっとする味がする。目がさえてくる。もちろん本当に火をつけたりはしないけれど。
部屋に入ると部屋の一角の床だけが湿っていた。周りを見ても水分を含んだものはなにも倒れていない。天井を仰ぎ見る。何も変わったことはない。知らない間にネコが部屋に入ってマーキングでもしていったようで、もちろんそれも本当ではないけれど、そんなことを思った。東スポを買ってカーペットの上にひいた。