030.その日のまえに / 重松清

ここだけの話、人が死ぬ話が好きだ。特に病気で死んでいく人の手記のようなものはいい。または実在の殺人犯のパーソナリティ及び犯罪に至るまでのドキュメンタリーも好きだ。共通しているのは興味。純粋に知りたいと思っている事柄であるから。特に最近前者の話は無意識に手に取ってしまう。自分が一番怖いことは大事な人が死にゆくことであり、その日が近づいているという恐怖が無意識にそうさせている。だんだん年を取って、自分も死んでいくんだろうけれど、昔は自分が死ぬことを妄想して、誰が泣くだろう、誰が笑うだろう、そして誰もなんとも思わないだろう、と考えて、それは死んでしまったその後のことで。だけれども今は、自分は、例えばガンになったとしたらどうやって死ぬんだろう。その時自分はどういう恐怖を味わうんだろう。そういったことの予習のように「死に本」を読んでいるように思っていた。自分が死ぬことはどうってことはない、から、大いに怖い、に変化した。大事な人が増えるということはこういうことか、と思った。たくさんの目に映らない人たちのことより、自分の目の前にいるこの人のことがどうなのか、ということの方が大切になったわけだ。
そして最近、自分が大切にしている人がいなくなってしまったら、ということの方が気になるようになった。そちらの方が現実的だ。(自分は先日「ガンになって余命3ヶ月だったらどうしよう」ということをリアルに感じたばかりなのでもうしばらくそのことは考えたくない。あれは怖い。)そしてその時、うろたえないためにはそういった予習が必要である。そんな作り話や人の話なんかなんの「ため」にもならないとはわかっている。だけれども、その日を迎えるために、そういう知識を蓄えずにはいられない。そういう弱い自分は自分の中に確かにいる。
前置きが長くなったけれど、この短編の登場人物の誰かひとりは例外なく死ぬ。それはもう死んでしまった人もいるけれど、大半がガンで、告知されたばかりで、そんな人たちがどうしたらいいか、という話が淡々と続いている。男の人もいるし、おかあさんもいる。まあ、その病気の描写はたいしたことはないのだが(笑 だってみんな背中の鈍痛から始まるんですもの)。みんな死に行く人であり、死に行く人の近くにいる人の物語だ。パッと事故で生を終わる人もいるが、それはほんの一握りの人で、みんなその日を迎えるために生きていくのだなあ。
表題の「その日のまえに」は「その日」「その日のあとで」と続いていて、この3編はたいへん理想的に描けていて良かった。ああやって泣きわめいてじたばたした後はその日を迎えるための準備をして淡々と死んでいくのはなかなかいい。短編集って必ずその話がなぜかリンクしている話が最後に入っていて「!」だったり「?」という気持ちになるわけなんですが、これはならないといいなあーとうっすら思っていったのにやっぱり最後にリンクしていて、たいへん微妙な気持ちになった。まぁでも、新盆同士、迷わないようにでかい花火で向かえるというのはいい話ですごく泣けた。花火がそういう大事なシーンに使われている地方があることを知っているのも大きいけど。実際の話も胸にくるものが大きいけれど、こういう作り話で死に行くことが胸に重く書けているのはなかなか良い本だなあと思いました。

その日のまえに

その日のまえに