嫌われ松子の一生

仕事がひとだんらくしたので映画でも見っぺ、と行ってきました。「嫌われ松子の一生」はだいぶん前に本を読んでました。読み終わった後に軽い悪夢を見るほど衝撃的な一冊だったのですが、結論としては、「原作が好きな映画はどんな力作でもダメ」と悟りました。自分の読んだ時に再生される頭の映像を捨てきれない。下妻を撮った監督が撮ったらこうなるだろうなぁーという想像は飛び越えられてなかったです。ただ、監督の松子さん(not 中谷)への愛情はすごく感じられたなぁ。非情さが足りない(笑)。今つらつら考えれば、中島監督のテイストならもっと痛々しくも撮れたんじゃないかな?というか、そっちが見たかったな(笑)と思うのですが、あえて撮らなかったところで「やさしい人なのかなぁー」とか思ってました。女子がキレイだよなぁーすごく。誰もブサイクに映らないもんなぁ。本の「嫌われ松子の一生」を読んだ後、すごい泣ける、という感想を書いたのですけど、痛々しいものを痛々しく受け取る。その人の人生をまっすぐ受け止めることって大事だよなぁ。その辺の現実的な部分が映像に引っ張られて非現実的で、ファンタジーちっくになっていたのが残念だった。ま、でもそれはあのね、これは映画だからね。そういう言葉で軽く流せるな。見に行くまでは「こうしないと辛すぎてエンターテインメントになりえなかったんじゃないか?」と思ってたんですけど、見た後は中島監督の感じた痛々しさをもっとまっすぐ見たかったなぁとちょっと残念に思いました。
思い出したことが内容に触れるので畳もう。
松子のセリフで一番印象的なのは「なんで?」だと思うんですけど、その意味がすごく曖昧に提供されているのが気になった。松子の動きも感情を排除したようなものだし、すごく気持ちが表にでない演出になっていて、それなのに「なんで?」と絶叫すると昔のいろいろなシーンがかいつまんで回想されたりして。委ねんのか委ねへんのかはっきりしやがれ!だいたい1つのエピソードにかける時間がすごく短いから、細部はおざなりなのよね。すごく大事なヒトコトなのになぁ。